2015/1/13 閉店前、最後のソースカツ丼
『飯島食堂』裏の駐車場に空きがなく、
んまあ、他所行くかねと車を再始動させたけど、
それでもやっぱりと、
天竜川沿いの駐車場に車を停めて恐らく最後の『飯島食堂』へ (:D)╋∈ヒューン
11:20 ころ店に近づくと週末凄まじかったと言われる行列はできていない。
ん、一番乗りかねと、
入り口で待機する気持ちを構えつつ店を覗くと店内満席だった (・д・ノ)ノ
ちょうど奥のテーブルが片付けられているところだったけど、
いったい何時からやっていたのだろう。
\カツをめくってもカツ!/ |
2014/8/25 回鍋肉定食
年寄り衆は皆、中華丼を注文し、
作業着のリーマンブラザーズたちはソースカツ丼を注文するという
きれいに割れた意見の隙間、
『バーミヤン』の桃シャツを着た俺だけが日替わり定食を注文 (^▽^桃)
「中華定食」(800円)
2014/7/24 木曜日は五目甘煮の日
昼食が未決のこの日、
もし中溝通りんとこにある『飯島食堂』の駐車場が空いていたら、
今日のランチは五目甘煮にしよう。
まあ空いているわけないがねw、
と興味本位のみで覗きに行ったら全部空いていた \(・∀・)/ うほー
2014/6/17 やっぱり酢豚
火曜日は \(・∀・)/ 酢豚の日!
中華定食日替わりメニュー |
2014/5/2 普通にソースカツ丼
この半年くらいずっと食べたかった『飯島食堂』のソースカツ丼。
これから暑くなると俺は体がとろけるため外に出なくなるから(本日 25度)、
この日急いで行って来た (:D)╋∈ヒューン
※ 会社に戻ったら自席の温度計は 30度超えてたけど(天井付近は 34度w)。まだ五月だぜ。
前回もそうだけど、
ひとりで来てるおばちゃんって必ずいるね。
たくましいやら \(・∀・)/ ふとましいやら
さて、昼はいつも相席だけど、
ぱしゃぱしゃ撮ったよ。
向かいのおじさん俺をそんなに見つめないで (・∀・)ノ゙
「かつ丼」(1100円)
2014/2/4 至上の肉酢豚
『飯島食堂』の日替わりランチ「中華定食」、
なんと火曜日はなんと酢豚の日!\(・∀・)/ ナントマー!!
酢豚の前にゃソースカツ丼も霞むぜ、カスミストアだぜ、
と火曜日に狙いを定めて行ってきましただよっと。
じゃん! \(・∀・)/ 11:40 着!
席がねーじゃんかよーーーーー!!。゚(/∀\*)゚。
としばし呆然としていたが、
空席はところどころあるので、
詰めたりなんだりしていただいて無事着席 (/∀・\)チラッ
しばらくして三人のお客さんがいらして、
自分が他所に移動して皆着席 \(・∀・)/
トイレに行ったら今度は席を奪われていてw
皆でちょこちょこ動いて全員無事着席 \(・∀・)/ セワシーナァw
喫煙で煙たいの覚悟してたけど、
いつの間にか一階は禁煙になっただね。
すげーありがたいけど、
この狭いエリアにおさんどもが肩寄せ合ってるから空気はちっとも清々しくないw
つか、なんで平日の 12時前に既に満席で待ちが出来てるんだよ。
12時までは馬車馬のように働こうよ。> 俺以外
そして料理もちょいと遅いけど、
これはきちんと作られているからだ。
それプラス、マンモスソースカツ丼作成に
時間が掛かっているんじゃないかとも思案する。
「中華定食」(800円)
入店から二十分が経過しようやくごはんが届く、
お皿たちがずんずん並ぶ。
ずいぶんたんとあるだねー \(・∀・)/ ・・・
2008/11/02 念願のソースカツ丼
13:12、入舟の駐車場に車を預ける。天竜川で橋の補修工事がなされている。
2005/11/13 ビッグバン編
「ソースカツ丼」(1100円)を食べに行く予定だったのだが、出発前に KEIKOさんとこのブログ見たら、やっぱり無理だと悟る (´・ェ・`) ヌゥ でも、まあ、せっかくだからとりあえず行ってみるかと。
13:25入店。ギリちょんじゃったなと思ったけれど、14時間際まで普通にお客はやってきた。いったいLast orderは何時なのかしらん (・△・?)
「中華丼」(750円)
2005/08/25 伊那家者さん編
(・∀・) 伊那家者さんよりご提供いただいたレポートー!
今日は、入舟にある『中華料理 飯島』に行って来ました!
この店、『中華料理』と銘打ってますが、一番有名なのが「ソースカツ丼」という変り種 (^_^;)
地元民には『飯島食堂』として名が通ってるお店です。(前回の『田村食堂』しかり)
駐車場が無いお店なので、近くの有料駐車場に車を止めて店内へ
中はかなり狭く、4人掛けのテーブルが5つと、6人掛けのテーブルが1つ、それが歩くのもやっと、と言うくらいに所狭しと並んでいました
若干中華っぽい作りなのは「うちは食堂じゃない!中華料理屋だぜベイべー!」と言う心意気の表れかー (゚∀゚ )
また、メニューの方も思ったより中華でちょっとびっくり、カツ丼の噂しか聞かないんだもの・・・( ;´・ω・`)人(´・ω・`; )
さて、早速有名なソースカツ丼を注文しようかと思ったら・・・・・「ソースカツ丼」(1100円)・・・・・・・高!!Σヽ(゚Д゚; )ノ
いや、高くても900円くらいでしょ、ソースカツ丼て!?・・・・流石に昼から1100円のカツ丼を頼む勇気の無いチキン野郎の伊那家者は、「ソースチキンカツ丼」(900円)をオーダーしました (´▽`鶏) アハハピッタリ
で、出てきたソースカツ丼(チキン)を見てビックリ!!蓋が・・・・蓋が浮いてるよママん!!Σ(‘д‘;)
チャイニーズマジックですな ヾ(◎皿◎) (by 桜ん坊)
ご飯が多いのではなく、肉がもの凄い量!なるほど、この肉のボリュームならちょっと高めの値段設定も納得
お献立 | |
かつ丼 | 1100 yen |
チキンかつ丼 | 900 yen |
親子丼 | 750 yen |
中華丼 | 750 yen |
天津飯(かに玉ご飯) | 750 yen |
炒飯(チャーハン) | 750 yen |
チキンライス | 750 yen |
ポークライス | 750 yen |
オムライス | 750 yen |
おそば類その他 | |
ラーメン | 550 yen |
チャーシューメン | 750 yen |
五目そば | 750 yen |
カントンメン | 750 yen |
チャプスイメン | 750 yen |
タンメン | 750 yen |
もやしそば | 750 yen |
ジャージャメン | 750 yen |
肉そば | 800 yen |
野菜炒めそば | 800 yen |
硬いやきそば | 750 yen |
その他 | |
生野菜 | 750 yen |
果物 | 750 yen |
ビール | 735 yen |
◎ メモ
2015/3/11(水)
息子さんの働いている『魚河岸居酒屋 神保町 魚百(東京都千代田区)』で『飯島食堂』のタレを使ったソースカツ丼がいただけるとかなんとか \(・∀・)/
◎ 「やり遂げた」飯島食堂105年 伊那 最後の営業に客行列
2015年02月01日(日)
1909(明治42)年に創業し「飯島食堂」の名で地元住民らに親しまれてきた長野県伊那市坂下の「中華飯島」が31日、最後の営業日を迎え、105年の歴史を閉じた。この日で最後となる名物のかつ丼を食べようと、地元の常連や県外の客らが行列をつくった。
普段より1時間半早い午前10時から営業。夜の部は予約で埋まり、昼の部の客が同8時ごろに並び始めた。客の大半はかつ丼を注文し、「長年お世話になりました」「ありがとうございました」とホールや厨房(ちゅうぼう)の従業員に声を掛けた。
長野市の会社員酒井稔さん(56)は、伊那市で働いていた同僚の勧めで初めて来店。ソースの染み込んだ肉が2段に積まれたかつ丼に「味わい深い。もう食べられないと思うと残念」と話した。昼の部で最後の客が午後3時すぎに店を出ると、「これで終わりです。お疲れさまです」と従業員から拍手が起こった。
「お客さんが来るうちにやめられたら」と、3代目主人の飯島敏道さん(71)が昨年春に閉店を決意。最後の2カ月は、客から手紙や花が次々と届いた。「無事に最後までやり遂げられてほっとしている。こんな結末を迎えられて不思議な気分」と飯島さん。従業員として苦楽を共にしてきた妻の三子さん(66)は「お客さまと従業員のみんなにただただ感謝です」と目に涙を浮かべていた。
- http://www.shinmai.co.jp/news/20150201/KT150131GVI090004000.php -
◎ 飯島食堂 105年の歴史に幕
放送日:2015年1月31日(土曜日)
明治42年創業の伊那市坂下の老舗中華料理店飯島食堂が、31日、最後の営業日を迎え、惜しまれながらも105年の歴史に幕を閉じました。
31日は、名物のソースかつ丼を食べ納めしようと開店前からおよそ20人が並んでいました。
飯島食堂は、現在のJR飯田線伊那市駅が開業する3年前の明治42年に創業。
今年で105年の歴史を数えます。
3代目の飯島敏道さん71歳。
飯島さんは、飲食業界を取り巻く景気の悪化や、自身の年齢から「元気なうちにやめたい」と考えるようになり、去年11月に店をたたむことを決意しました。
その後、テレビや新聞に取り上げられると、多い時には1日で200食のかつ丼を提供するなど、店先には連日長い列ができるようになりました。
31日も、十数年来の常連客や噂を聞いた県外からのファンが訪れ、名残を惜しんでいました。
かつ丼以外にもチャーハンや小籠包などを注文する人もいました。
昼の営業は午後3時に終了し、およそ250人が訪れました。
子どもからお年寄りまで、1世紀以上地域に愛された老舗中華料理店飯島食堂。
- http://inamai.com/www/ictnews/detail.jsp?id=39564 -
◎ 伊那の商店街に変化の胎動 “飯島食堂”月末閉店、若手が出店
2015年1月27日
“飯島食堂”の呼び名で親しまれる伊那市の飲食店「中華料理 飯島」が今月末で、一世紀の歴史に幕を閉じる。市内の中心市街地の名物店の閉店が続く一方、若年層による出店の動きもあり、新しい商店街の姿に期待の声も上がっている。
平日の正午すぎ、同市坂下の飯島食堂前には二十人ほどの列ができていた。別れを惜しむ常連客らで、店内は連日満席だ。名物はソースかつ丼(千百円)。丼のふたがしまらないほど盛られた厚さ三センチの豚カツ。「お客さんが満足するように」と、月日がたつにつれ大盛りになっていったという。
店主の飯島敏道さん(71)は三代目。祖父が一九〇九(明治四十二)年、現在の場所に酒店を開店。客に料理やつまみを提供したのが始まりだ。飯島さんは「子どもらに迷惑をかけんうちに」と閉店を決めた。三代に渡って支えてくれた地元の人たちに感謝の気持ちを込め、腕をふるっている。
昨年末に、五十年以上続いたてんぷら料理店「アカハネ」も閉店したばかり。市街地の顔が姿を消していくなか、伊那谷に魅せられた人が商店街に出店を始めている。
カフェ「コーヒーとサンドイッチおかもと」は昨年九月末、JR飯田線伊那市駅前に開店。店主の岡本夏季さん(43)は和歌山県出身。信州大農学部(南箕輪村)に進学し、「自然の美しさ。人の優しさ」にひかれ、卒業後も伊那谷に残った。地元産の木材を使ったテーブルなどが醸す温かい雰囲気の店内では、コーヒーやパンの盛り合わせなどが味わえる。勤め人や高校生など幅広い世代が訪れている。
中心市街地活性化に取り組み、自身も飲食店を営む市議若林敏明さんは「意欲に燃えた若者たちが集まってきている。良い形で商店街の循環が図れるようになれば」と話す。
(鈴鹿雄大)
- http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20150127/CK2015012702000014.html -
◎ 伊那の飯島食堂、105年の歴史に幕 中心市街地と盛衰を共に
2015年01月19日(月)
かつて天竜川の船着き場だった長野県伊那市坂下入舟(いりふね)町。天竜川沿いの国道153号とJR飯田線に挟まれた一角にある飲食店「中華飯島」が31日、105年の歴史を閉じる。かつ丼を名物にまちと盛衰を共にしてきたが、3代目の飯島敏道さん(71)が「お客さんのいるうちにやめられるならありがたい」と決意した。親子3代にわたる常連客も珍しくなく、閉店を惜しむ人たちが連日、押し寄せている。
18日昼すぎ、3階建ての店の前に50人ほどが列をつくっていた。1階の24席は埋まり、従業員が忙しく動き回る。閉店することが知られた昨年12月ごろから、順番待ちの列ができるようになった。
長野市の金子実千恵さん(44)は、11日に家族4人で1時間以上並んだ。伊那市に帰省するといつも訪れる。「小さいころからここでかつ丼を食べていた」。かつ丼はソースが染みた厚切りロース肉の二段重ねで、丼からはみ出てふたが閉まらない。長女弥生さん(15)は「最後だと思うと寂しい」。スマートフォンを丼に向けて写真を撮った。
飯島さんによると、祖父淳さんが1909(明治42)年に酒店を開店。量り売りの酒を飲む客につまみを出すようになり、「飯島食堂」を始めた。馬肉の桜鍋、うどんなどを提供したという。12年に飯田線の前身、伊那電車軌道が伊那町駅(現伊那市駅)まで開通。店近くの入舟駅(43年廃止)も大勢が乗降した。
戦中、戦後の食糧統制下は、国発行の外食券持参者相手の食堂として営業。かつ丼は戦後すぐ、品書きに加わったという。昭和20年代後半から、天竜川支流の三峰川で美和ダム(現伊那市長谷)建設が本格化。飲食店が増えた入舟町は作業員らでにぎわった。
飯島さんの父で、中華料理店で修業した等さんが店を継いだが、65年ごろに借金を抱えて経営が行き詰まった。再開に向けて、等さんの友人5人が5万円ずつ出資して別会社をつくった。
東京の料亭で働いていた25歳の飯島さんや従業員を社員に迎え、飯島食堂は68年に再開。再建を託された飯島さんは「人とのつながりの大事さを感じた。誰にも高飛車に接してはいけないと肝に銘じた」。経営の行き詰まりと再開を報じた新聞記事は今も取ってある。75年ごろに今の店名にしたが、地元では飯島食堂で通っている。
かつ丼は「期待外れにならないように」と肉の量を徐々に増やし、二段重ねが定着。かつ丼の評判が広がる一方、2階座敷の宴会予約は70年代の石油危機を境に減ったという。93年、伊那市役所が天竜川西岸の中心街から東岸の下新田に移転。県の出先機関は中心街にあるが、2000年に田中康夫氏が知事になると、「役人の宴会も減った」と飯島さんは振り返る。
市が13年に商店主らでつくる「伊那まちの再生やるじゃん会」に委託した調査では、対象とした中心市街地の店舗300軒余の約15%が空き店舗だった。古くからの店が閉じる一方、近年は全国チェーンの居酒屋が出店している。
飯島さんは13年秋、調理中に右手が利かなくなった。脳梗塞の可能性があると診断された。店の経営は楽ではない。長男は都内で料理人をしている。継がせることで自分と同じ苦労はさせたくない。店を畳むと決めた。近くの喫茶店の元店主神田平三郎さん(72)は「相当悩んだと思う」と話す。
坂下で写真館を営む畑英城(えいじょう)さん(72)は、長男の結婚相手の家族と初めて対面したのも、孫のお宮参り後の食事も、クリスマスパーティーも飯島食堂だった。神奈川県に住む次男に閉店を知らせると、「僕の代わりにかつ丼を食べて」と電話してきた。
座敷は31日まで予約で埋まり、感謝の手紙を持参する人もいる。「3代も4代も続くお客さんがいることが財産。今までの商売は間違っていなかったんだと思う」。飯島さんは、「最後だから」と肉をさらに厚くしてかつを揚げている。
- http://www.shinmai.co.jp/news/20150119/KT150118FTI090003000.php -
◎ 105年愛された「飯島食堂」の歴史に幕
更新:2015-1-1 6:00
「飯島食堂」と呼ばれ、長年にわたり地元で愛されてきた伊那市坂下の「中華料理 飯島」は1月31日に閉店し、105年の歴史に幕を下ろす。3代目店主の飯島敏道さん(71)は「お客さんに喜ばれて良かったなあという思いが一番のもうけ。お客さんに奉仕して終わろうという気持ちでいっぱい。悔いはない」と思いを語った。
「毎日お客さんが来てくれる中、締めくくりを迎えられる。こんな幸せなことはない」と閉店を迎える思いを語りながら、来店客への感謝の気持ちを何度も口にした。
- http://www.nagano-np.co.jp/modules/news/article.php?storyid=33143 -
◎ 飯島食堂 来年1月末で閉店
創業104年の名物食堂 歴史に幕
放送日:2014年12月12日(金曜日)
創業から104年の伊那市を代表する飲食店、飯島食堂が来年1月末で閉店します。
伊那市坂下入舟にある飯島食堂。
創業は、明治42年。
今年で104年になる老舗の飲食店です。
中華食堂ですが、人気メニューは、1,100円のカツ丼。
ふたがしまらないほどのボリュームで、店を訪れる人の多くが注文します。
3代目の飯島敏道さん71歳。
来年1月末での閉店を決めました。
12日のお昼。
店内は、多くの人でにぎわっていました。
そして注文が次々と厨房に飛び込んできます。
そのほとんどがカツ丼。
飯島さんが次々と揚げていきます。
カツ弁当も人気で山梨に住むこの方も閉店の知らせにがっかりです。
昭和30年代前半に撮影された飯島食堂です。
建物は戦前からのものでした。
このころは、酒屋も一緒に営んでいました。
昭和44年に酒屋はゆずり、食堂に専念。
それからほぼ半世紀にわたり、伊那市の名物店として多くのファンに愛されてきました。
飯島食堂は、年末は29日まで、年始は3日から営業する予定です。
多くの市民に愛された伊那の名店は、来年1月末でその歴史に幕を下ろします。
- http://inamai.com/www/ictnews/detail.jsp?id=39161 -